探蝶逍遥記

房総半島のヤマキマダラヒカゲ(5月19日)

 少し時計の針を戻して先月19日の観察記録です。既に黒系アゲハ画像をご紹介しておりますが、実はアゲハの絵はあくまで副産物でして、この日のメインターゲットはヤマキマでした。
 ご存じの通り、静岡県の高橋真弓先生が1970年に日本のNeope属を再検討し、ヤマキマダラヒカゲ(N.niphonica)を記載しました(※1)。その後も先生は日本全国のヤマキマを調査され、房総半島産ヤマキマが他の集団から隔離された個体群として、亜種kiyosumiensisを記載されました(※2-4)。房総半島産亜種の特徴はヤマキマとしては異例の低標高地に棲むことで、垂直下限は海抜25m、分布の中心が60-120mとサトキマと重なることです。管理人も以前から本亜種撮影に興味を持っておりましたが、今回ようやくトライしてみました。先生の論文(※4)によると、

(1)ヤマキマ春型♂の出現は4月中旬からで丁度ゴールデンウイークが発生の最盛期。♀も♂にやや遅れて発生し、共に5月下旬には姿を消す。
(2)サトキマとの混生地では、サトキマ♂発生は5月中旬頃で発生の最盛期は5月下旬。♀は6月下旬頃まで継続する。
(3)つまり、ヤマキマとサトキマは季節的棲み分けをしている。

 この論文を改めて読み直して、「春型は嫌な時期に発生ピークがあるなぁ~」と思いました。そう、高標高地ギフやヒメギフのピーク時期と重なる訳で、わざわざキマダラヒカゲを撮影に千葉まで・・・と躊躇してしまうからです。実際、管理人も今シーズンの5月上旬は岡山でシルビア探索等していたものですから、既に時遅し。でも是非共見てみたい・・・。でヤマキマ春型♂を観察するにはギリギリと思われた中旬過ぎに思い切って探索してみた訳です。

 実は今回の記事アップが遅れたのには理由がありまして、撮影した画像のヤマ/サト判定に自信がなく、厚顔無恥にも高橋先生に直接私信を出し、同定をして頂くのに時間がかかったからであります。先生とはこの2月に保全協会会合で台湾産Ypthima属に関して、色々とご教示を頂いた経緯もあり、厚かましくもお願いをしてみました。
 さて、当日は先生の論文に記載されている当時(1989年)の記録地から5箇所を抽出し、順番に巡ることにしました。先ずは季節進行が遅れていることを期待して高標高地へ(と言っても標高は僅か150m)。現地8時20分着。ゼフ用長竿でペシペシ叩きながら、探索しますが、Neope属らしき姿は全くおりません。そこで次第に標高を下げながら、食樹とされるアズマネザサ・メダケ群落を目印に探っていきました。これらの食樹は川沿いに生えていることが多く、人家近くでもありまして、怪しまれる視線を気にしながらの探索活動になりました(^^; ところが、お握りの昼食を取った後も全く成果が上がりません。そして最後の候補地(標高20m)を探索していると、農道両側がメダケで囲まれた美味しそうなポイントを発見。                                                                     ++横位置画像はクリックで拡大されます++
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D90-20、ISO=200、F10-1/125、-0.7EV、撮影時刻:15時38分

 ここで午後2時頃、やっと2頭のNeopeがもつれあっている光景を目撃。興奮を抑えながら撮影したのが、下記のショット。                          
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D7K-34(トリミング)、ISO=400、F9-1/800、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時01分

 イチョウの葉の上での求愛行動で、左側の♀と思しき個体は翅を横に倒して交尾拒否姿勢を取っております。そのうち、♂は飛び去り、♀はおもむろに翅を立ててくれました。
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D7K-34(トリミング)、ISO=400、F9-1/320、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時03分

 残念ながらこの個体はサトキマの♀でした。先生の判定結果は一枚目の♂もサト。つまりサトキマの求愛拒否行動画像だった訳です。2枚目の画像で、サトキマとする根拠は、次の3点。

①後翅裏面基部にある3個の黄斑点の並び(形質Aとする)が直線的。
 →上の2点の外側接線が下の1点と交接しない。
②後翅裏面外縁側の眼状紋の黄褐色環の巾(形質B)が厚め。
 特に第4,5室の眼状紋内の「瞳」部分の黒点が殆ど消失している点。
③前翅裏面第5室眼状紋外側の白班(形質C)が明白ではないこと。

 2枚目の♀はタブノキの樹液にも来訪し、熱心に吸汁しておりました。
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D7K-34、ISO=500、F8-1/250、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時07分

 こちらの絵の方がより接近戦なので、上記①、②に関してはより特徴を把握しやすい絵になりました。観察していると、どうやらこのタブノキ樹液に集まる♀目当てに♂が来訪している感じです。そのうち、ヤマキマの食樹、メダケの低い丈に♂が止まりました。
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D7K-34、ISO=500、F9-1/250、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時11分

 これが探し求めていたヤマキマの♂でした。サトキマの特徴とは真逆な形質を備えます。すなわち、
①形質A:「くの字」配列が明白。
②形質B:後翅第2室の黄褐色環の巾は薄くなり、同第4,5室眼状紋内の「瞳」部分の黒点が明確。
③形質C:白斑が明白。

 事前に先生の論文(※2)を読みながら、「房総産春型♂はかなり小型」の先入観を持っており、↑の個体がサトキマ春型とほぼ同サイズであったため、ちょっと判定に苦慮いたしました。まぁ、個体サイズも変動がありますので、あくまで特徴ある形質に拘って判定すべきでした。また傾斜日光浴する個体も結構おりました。その事例です。フジの枝に掴まってカメラ側に体を倒しております。
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D7K-34、ISO=400、F9-1/500、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時22分

 この絵には少々悩みました。形質Aはかなり「くの字」配列に近くヤマキマ的ですし、形質Bの後翅第4,5室の「瞳」も明白。更に形質Cはフジの葉で隠されて判定不能(^^; 
先生の判定結果は「サトキマの♂」。形質Bはサトキマそのものだそうです。また形質Aについては、「サトの3割程度にヤマキマ的配列が出現するが、ヤマにサト的直線配列する個体は殆ど無い」とのご教示。この個体、この後、ガマズミの花穂に止まって全貌を現してくれました。
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D7K-34、ISO=200、F9-1/800、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時35分

 確かに形質Cの白班が目立たず、総合的判定は「サト」となるのでしょう。さて4枚目にアップしたのは別のヤマキマらしき個体が枯葉に止まりました。
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D7K-34、ISO=200、F9-1/800、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時34分

 やはりこれはヤマキマの♂でした。右後翅が結構破損しておりまして、前翅の形質C判定部分がフジの茎に隠されて判定不能です。ただ形質A、Bの特徴からヤマキマと判定できるもの。特に先生は「後翅第6,7室の眼状紋が略楕円形になること」、「後翅外半部がやや紫色を帯びて暗化すること」も判定根拠に上げられておりました。お次は再びフジの茎に止まって傾斜日光浴する個体。
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D7K-34、ISO=200、F9-1/800、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:14時44分

 どうやら、1-3枚目と同一個体のサトキマ♀のようです。さて、ここで読者の皆さんにクイズです。下記の吸汁画像はヤマキマでしょうか?それともサトキマでしょうか?判定に困るような個体ではありませんが・・・。
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D7K-34、ISO=500、F9-1/800、-0.7EV、外部ストロボ、撮影時刻:15時18分

 えーっ、答えは5月21日付け記事の一番最後に載せてありますのでご覧下さい。コメントされる方は正解について触れないようにお願いします(笑)また参考までに先日、長野でオレンジ観察した日に撮影した長野県産ヤマキマ(名義タイプ亜種)春型♂の画像もご紹介しておきましょう。
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D7K-34(トリミング)、ISO=400、F9-1/320、-1.0EV、撮影月日・時刻:5月27日、13時35分

 以上述べたヤマ/サト判定着眼点は先ほど刊行された「フィールドガイド日本のチョウ」、p.256-257にも一部が記載されております。ただ、形質B、つまり後翅裏面眼状紋の黄褐色環の巾の議論は記載されておりません。同ガイドには、「下記の特徴には例外もあり、総合的な判断が必要」と述べられております。しかし、初心者にとって、「総合的な判断」はとても辛いものです。もしそうであれば、判断材料の一つとして形質Bについても記述すべきと思います。特にガイドで触れられている表翅の形質特徴は通常観察では確認できないポイント(パスト連射飛翔でも撮影しないと先ず不可能)で、裏面観察に頼る場合は、眼状紋の特徴は大変重要な識別ポイントだと思います。文字数の制限もあるかとは思いますが、次回改定版では、形質Bについても是非、検討をして頂きたいものです。

 さて、今回、何とか念願の房総産ヤマキマ春型の撮影に成功いたしました。先生からは私信で「夏型の撮影も期待しています」との激励を頂きましたので、是非チャレンジしたいと思います。なお、夏型は春型とは逆にサトキマの出現より遅れ、8月下旬頃にピークを迎えるとのこと。つまり、サトキマよりも蛹の夏期休眠期間が著しく長く、幼虫発育期に酷暑を避ける工夫をしており、こうした生活史は房総半島産亜種の特徴でもあると先生は述べておられます(※4)もっともNeopeの居そうな環境は真夏に藪蚊の襲撃に遭いそうな場所でもありますので、ちょっと尻込みしますが、何とかこの夏、トライしてみたいと思います。
 今回の撮影結果については、高橋先生より多大なご教示を頂きました。改めて御礼申し上げます。尚、先生の関係著作論文について詳細を知りたい方は下記をご覧下さい。

<参考文献>
※1 高橋真弓、1970、日本産キマダラヒカゲ属Neopeに属する二つの種について、蝶と蛾 21(1・2), 17-37.
※2 高橋真弓・青山潤三、1981、房総半島産ヤマキマダラヒカゲについて(Ⅰ)、蝶と蛾 32(1・2), 29-47.
※3 高橋真弓・青山潤三、1987、房総半島産ヤマキマダラヒカゲについて(Ⅱ)、蝶と蛾 38(4), 251-258.
※4 高橋真弓・青山潤三、1989、房総半島産ヤマキマダラヒカゲについて(Ⅲ)、蝶と蛾 40(2), 117-131.


≪9/21付け記事の解答≫
解答:ヤマキマダラヒカゲの♂
根拠:①本文記事中形質E(前翅頂近くの黄班の並び方)より、明らかにヤマキマ。
   ②性別判定は、形質Gで「魚の尾鰭」構造が無いことから♂。
by fanseab | 2012-06-06 21:03 | | Comments(18)
Commented by himeoo27 at 2012-06-06 21:31
サトとヤマを分けた高橋先生の本を私も
数年前ワクワクしながら読んだことを思い
だしました。
幼虫の形状が違うのに成虫は本当に
そっくりですね!
Commented at 2012-06-06 22:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yoda-1 at 2012-06-06 22:21
大変な力作ですね。
この時季、房総のヤマキマダラヒカゲを攻めるとはなかなかできないことです。
YODAの識別感と一致するので安心しました。
総合的判断が必要だといつも痛感しますが、
形質Aではくの字度よりも中点がどちらよりかで見る方が大事。
中点が外側の点に近いような個体はサト。
形質Bは決め手になることが多いが、ごくたまにヤマキ並に眼状紋の大きなサトキマがいる。
形質Cはヤマキでも白斑が明瞭でない個体がたまにあり、サトキマでも白斑の目立つ個体がいて、あくまでも傾向差としてみるべき。
という個人的な認識になっております。
いつか、房総産の亜種を勉強したかったので、大変ありがたい記事に感謝です。
Commented by fanseab at 2012-06-06 22:23 x
himeooさん、今回ご紹介した原著論文も是非読んでみてください。幼虫の形状も恐らくボンヤリ観察していたら有意差に気が付かないものでしょう。違う・・・と思って調査する大事さに気が付きます。
Commented by fanseab at 2012-06-06 22:44 x
鍵コメさん、ヤマとサトの判定はどなたに
とっても結構難題ですよ。
偉そうな記事を書いた小生も未だ自信がある訳ではありませんし・・・。
クイズだと思って楽しむのが良いのかもしれません。
Commented by fanseab at 2012-06-06 22:47 x
yoda-1さん、貴殿の「識別検討室」は凄い力作ですよ!色々な例外があるので、裏面について、特にフィールド図鑑的な撮影をして、全ての判定用形質を写し込むことが大事だと思います。
夏型を撮影して、小生も判定により自信を持てると良いのですが・・・。
Commented by dragonbutter at 2012-06-06 22:48
大変勉強になりました。
昨年9月中旬にボウソウヤマキを撮りました。
私も同じ日に高橋先生から「連休の房総でキマダラヒカゲがいたらまずヤマキでしょう」と教えていただき、夏型がいた場所に行ったのですが、そもそもキマダラヒカゲが見られませんでした(泣)。また来年トライしてみたいです。
そうですか。サイズはあてにならないのですね。
Commented by fanseab at 2012-06-07 00:01 x
dragonbutterさん、蝶撮影をやり始めてから、初めて「キマダラヒカゲ」を真剣に追い求めました。貴殿同様、どこにでもいそうなNeope属は探してもいないもんなんですよ。
サイズについては「統計的に小さ目」なので、数多く観察すれば小さいことが実感できるのかもしれません。今回出会った♂個体数はわずかに2頭ですから、何とも言えません。
Commented by ダンダラ at 2012-06-07 09:00 x
房総のヤマキマ、気になりながらまだ撮影に入っていません。
連休頃はまだ蚊が少なくて探すには良い時期かも知れませんね。
詳細な判定の解説、参考になりました。
一応全部合っていたので安心しました。
Commented by fanseab at 2012-06-07 21:14 x
ダンダラさん、やはり皆さんも「気になるけどなかなか行けない」存在だったと思います。
高橋先生も論文で触れられておりますが、房総のヤマキマは色調的に最もサトキマに近似していることも特徴だとか。ですので、サト/ヤマの判定はヤマキマの中で一番難しい亜種かもしれません。全問正解は流石ですね。
Commented by naoggio at 2012-06-07 22:38 x
房総のヤマキマをちゃんと撮影に行かれたんですね。感心させられます。
それにしても、そもそもこの2種の存在に気付いた事がすごいですし、房総の個体群の存在に気付くなんて信じられません。
高橋さんには35年程前に山梨県の醍醐山でお目にかかって以来一度もお会いしていませんが、恐ろしいほどの根気と洞察力をお持ちの方なのでしょうね。
Commented by fanseab at 2012-06-07 23:06 x
naoggioさん、仰る通り、今でもヤマかサトか?迷うような微妙な斑紋差なので、これを2種に分けた慧眼には恐れ入ります。ハイ、凡人では到達できない洞察力がないと、ここまでの成果は得られないでしょう。他の業績も考えると、本当に凄い方です。
Commented by clossiana at 2012-06-08 08:13
以前から気にしていた蝶でした。でも挑戦に二の足を踏んでいましたのはヒルの問題の為でした。そのため、毎年、越冬ルーの継続観察にしても4月中旬頃を最後としていました。fanseabさんのチャレンジ精神に乾杯です。それと同定に関して高橋先生に直接コンタクトされるなど慎重な姿勢にも乾杯です。
Commented by 虫林 at 2012-06-08 18:28 x
こういうマニアックな種類への挑戦は見ごたえがあります。さらに、しっかりと撮影されていて、その特殊さが実感できました。
昨年、dragonbutterさんのブログを拝見して、その存在を知りましたが、かなり数は多くないようですね。
オメデトウございました。
Commented by fanseab at 2012-06-08 22:10 x
clossianaさん、貴殿は千葉をフィールドにされているので、既に撮影済かと思っておりました。ヤマキマの生息地は比較的平坦な雑木林等で、渓谷の深い谷底に棲むルーとはかなり環境が異なります。ですので基本的にはヒルとは無縁の世界で撮影可能と思います。小生も今回の探索で全くヒルの被害には遭っておりません。それより夏場は藪蚊対策が必要でしょうね。これには覚悟が要りそうです。
Commented by fanseab at 2012-06-08 22:12 x
虫林さん、Neopeなんてどこにでもいるから簡単だろうと高をくくっておりましたが、意外に苦戦してしまいました。個体数は恐らく多いポイントにはそれなりに居るのだと思います。サトとの混棲地では、同定の問題が常につきまといますね。
Commented by banyan10 at 2012-06-11 16:34
遅くなりましたが、やはり房総ヤマキマでしたか。
しっかり撮影できたようでおめでとうございます。
僕の場合はあまり亜種にはこだわっていないのですが、それでも行く機会もそれなりにある地域なので気にはなっています。
皆さんコメントされていますが、この時期に挑戦するのはすごいですね。
Commented by fanseab at 2012-06-11 21:00 x
BANYANさん、ハイ、コメント欄で貴殿の質問に対して即答できなかったのは以上の理由がありました(^^;  恥ずかしながら現時点でもヤマ/サトの判定に完璧自信はないです。相当サイズが小さい・・・予見が邪魔をして結構混乱をしました。
やはり行くなら皆さん夏型勝負になるのでしょうね?無理に春型撮影を勧める気にはなりません。
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